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敗戦を勝利に導いた太鼓岩

敗戦を勝利に導いた太鼓岩

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of Boeun.

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報恩郡報恩邑鶴林里から東へ鍾谷里の水鐵嶺へ向かうところに海抜515mの門厳山があるが、この山道の渓谷に着くと、稜線へ登る道の端に『太鼓岩』と呼ばれる岩がある。三国時代に報恩は、新羅と百済の国境地帯として戦いの多い地域であった。

三年山城(報恩邑漁岩里所在)を根拠地とした新羅軍と老姑城(報恩邑山城里所在)に陣を張った百済軍の間では、国土拡張のための戦いが繰り広げられた。両軍は二つの山城に広がった中東里と風吹里の野原で激烈な戦闘を繰り広げ、勝負が決まらないとそれぞれ本陣へと戻っていった。

その頃の話である。百済軍の指揮者は楊絮という気骨が壮大で知略に優れた将軍であった。しかし、どうしたことか、戦いに出るとなぜか新羅軍に負けてばかりいた。ある日、将軍は未明から兵士に腹いっぱい食べさせ、老姑城へと向かった。生死をかけた一戦で、新羅軍を大破するために何日も検討した作戦を行なうためだ。その作戦とは、新羅軍を奇襲して三年山城を奪取することだった。

しかし、その時、百済軍に背信者がいて楊絮将軍の戦略が事前に新羅軍に伝わってしまい、明け方、百済軍が城を出て霧を抜けて三年山城に向かい怒涛のように走っていくと、途中で隠れていた新羅軍に反対に奇襲を受けてしまった。楊絮将軍は仕方なく満身創痍となった部下の敗残兵を率いて老姑城へ後退するほかなかった。しかし、山城の下に着いたときにはすでに山城は新羅兵士に占領され、将軍と百済軍は行く所すらなくなってしまった。後ろからは追撃する新羅兵士たちの大きな喚声が聞こえ、山城からも新羅軍が蟻の群れのように流れてきた。勝利に陶酔した新羅軍たちは追撃をやめて万歳を叫び、老姑城に上っていっていた。

楊絮将軍は、突然疲労に襲われた。この上なく情けなくてどうしようもなかった。世の中の全てがうまくいかず八方塞がりの自分の不運が悔しく、ただ恨めしかった。彼は急にその場から立ち上がり、鬱憤を晴らすように腰に着けていた長い刀を抜き、横にある大きな岩に向かって力いっぱい切りつけた。 刀は柄の部分まで深く岩の中に入った。楊絮将軍はそれでも鬱憤が晴れず、そのまま10回以上も刀を引き抜いたので、岩には穴が開いてしまった。

その時だった。岩の穴からかすかな太鼓の音が聞こえ始めた。太鼓の音はどんどん大きくなり、不意の太鼓の音に兵士たちは一斉に、休憩していたその場から立ち上がった。『ドン、ドン、ドン』太鼓の音は鳴り続けた。まるで進軍を催促するように聞こえた。敗戦に士気を失った兵士たちは、太鼓の音に隊伍を整え、力強く喚声を上げて山を降り始めた。そして新羅軍を大きく退け、老姑城を奪還したという。そんなことがあってから、この岩を『太鼓岩』と呼ぶようになったといい、現在も木こりが丸太や手でたたくと太鼓の音が聞こえるという。